2017.12.01(金)選手

2017-2018ダイヤモンドアスリート 第1回リーダーシッププログラムVol.1



 11月25日、2020年東京オリンピックでの活躍が大いに期待できる次世代の競技者「ダイヤモンドアスリート」の第4期認定式を行った日本陸連は、同日午後より、認定者に向けたプログラムをスタートさせました。

 最初のプログラムとなったのが、東京マラソン財団スポーツレガシー事業として運営される「リーダーシッププログラム」。これは、ダイヤモンドアスリートが、高い競技力を有するだけにとどまらず、豊かな人間性を持つ国際人へと成長し、世界を舞台にリーダーシップを発揮できるような人材になることを目指して実施されるもの。今期も同事業運営委員を務める為末大さん(男子400mH日本記録保持者、2001年・2005年世界選手権銅メダリスト)監修のもと、講師・内容ともに多彩なプログラムが全4回で展開されることになっています。

 第1回は、柔道家の野村忠宏さん(ミキハウス)を講師に招き、為末さん進行のもと、「より高いレベルのアスリートを目指すには」をテーマとするトークセッションが実施され、午前に行われた認定式・修了式に出席したメンバーのほか、“ダイヤモンドアスリートOB”である修了生の岩本武選手(順天堂大)、平松祐司選手(筑波大)、佐久間滉大選手(法政大)の3名が参加しました。
 野村さんは、1974年生まれ。柔道一家という環境のもと、子どものころから柔道に取り組み、60kg級において、1996年アトランタ五輪で金メダルを獲得すると、2000年シドニー五輪で連覇。その後、2年間のブランクを経て競技復帰した2004年アテネ五輪も制して、柔道史上初、また、全競技を通じてもアジア人初となる五輪3連覇を達成しました。その後、度重なる大きなケガと闘いながらも競技に取り組み続け、2015年に40歳で現役を引退。現在は、柔道の普及活動に携わるほか、スポーツキャスター、コメンテーターとしても幅広く活躍しています。
 今回のプログラムでは、まず、野村さんが自身の競技人生を振り返りながら、そのときどきで転機となった出来事や感じたこと、考えたことなどを選手たちに紹介。続いて、為末さんとの質疑応答がなされたのちに、選手たちからの質問に答えるという形で進行しました。



■自身の競技人生を振り返って:野村忠宏さん講話(要旨)
◎弱かった子ども時代。しかし、やめることは考えなかった
 祖父が師範を務める道場で3歳から柔道を始めた。柔道一家に育って五輪で3連覇したということで、よく「エリートですか?」と聞かれるが、実はそうではない。身体が小さかったこともあり、弱くて、周りからも親からも期待されない選手だった。天理高校では父親が監督を務める柔道部に所属し、3年のときにようやくインターハイに出場したが、1勝もできずに終わっている。

勝つ喜びを味わうことは少なかったが、柔道を選んだのは自分という思いがあったので、柔道をやめようという考えは全くなかった。また、背負い投げという得意技があったことで、「今は弱いけれど、この技を磨き続けていけば、いつか背負い投げを武器にしてすごい選手になれるかもしれない」と思っていた。「現実は見つめながらも、未来の自分に期待しよう」「今、諦めるのはもったいない。俺ならできる」と自分を信じていた。

◎「意味のある練習、意味のある努力」を知って飛躍
 強くなるためには、「意味のある練習、意味のある努力ができているかどうか」が重要になってくる。高校時代も努力はしていたつもりだったが、本当に努力の意味、やり方がわかったのは天理大学に進んでから。大学1年のときは関西の大会にも出られなかった自分が、大学4年でオリンピックチャンピオンとなるわけだが、そこに至った大きな飛躍には転機があった。
 転機は自分で気づけるか、もしくは気づかせてくれる人との出あいがあるかどうか。私の場合は、大学時代の恩師である細川伸二先生(1984年ロサンゼルス五輪60kg級金メダリスト)が大学2年のときに初めてかけてくれた言葉がそれだった。試合を想定して行う乱取りの練習で、残りの時間や残りの本数を気にしていることを指摘され、「与えられたものを与えられたままこなす練習をしていても強くなれない。試合を常に想定して、今やっている1本に集中して全力を出し切ることを意識しろ。それを積み重ねろ」と言われて以降、先のことを考えずに、1本1本を限界まで追い込めるようになった。こうして「意味のある練習、意味のある努力」を知ったことで、練習の質が格段に向上して力がつき、五輪代表に選ばれるまでに成長できた。

◎「攻撃する、顔に出さない、絶対に諦めない」を貫き、金メダルを獲得
 1996年のアトランタ五輪で初めて日本代表に選ばれた。実績がなかったので注目される選手ではなかったものの「日本柔道」の代表ということでプレッシャーは感じていた。しかし、父からの「オリンピックのプレッシャーを感じられるのはごくひと握り。4年に1度の大舞台で試合ができる喜びを噛み締めて戦ってこい」という言葉を胸に留めるとともに、試合に臨む怖さや緊張感を当たり前のものとして受け入れ、金メダル獲得という目標のほかに、「畳に上がったら常に攻撃する、ピンチが来ても(感情を)顔に出さない、絶対に諦めない」ということを自分のテーマとして、どんな場面が来ても貫こうと決めて挑んだ。本当にピンチが来たのは3回戦。前年の世界選手権覇者のニコライ・オジェギン選手(ロシア)と対戦した際、リードを奪われ、絶体絶命の状態まで追い込まれたが、そのなかで自分の掲げたテーマを貫き通してラスト10秒で逆転勝ち。それが大きな自信となり、その勢いに乗ったまま優勝することができた。この経験によって、「勢いでもなんでもいいから、若いうちに、チャンスがあるうちに、とことん勝っておくことの大切さ」を実感、さらに「そうした経験を積み重ねることが大事」「大きなプレッシャーがかかっても、それに向き合うことで、また強くなれる」ということを学んだ。
 アトランタ五輪以降は、自分自身の立場が決定的に変わった。それは、それまで無名だった若者が金メダリストになったことで、世の中から注目され、期待され、そして世界中のライバルから研究される存在になったということ。このため、2連覇を目指した4年後のシドニー五輪へ向かうに当たっては、今までと同じ気持ちや取り組み方でやっていたのでは絶対に勝てないという意識で取り組んだ。それが1回目に勝つことと、勝ち続けることとの違いだと思う。常に注目され、プレッシャーがかかるなかで、自分をどんどん進化させていくことを心がけた。

◎2年のブランクを経て挑んだ五輪3連覇
 2000年シドニー五輪で2連覇したときは25歳だったが、そのころになると、「引退」という現実が頭をよぎるようになっていた。29歳で迎えることになる次のアテネ五輪では勝てる保証はないという気持ちから、シドニー五輪で引退することも考えていたため、五輪後は進退を明言せずに、2年間、柔道から離れた。しかし、距離を置いたことで自分の柔道に対する思いや柔道の魅力を再確認。現役に復帰することを決めた。
 オリンピック2連覇を果たした自分なら、なんとかなるだろうという思いでの復帰だったが、そこからが地獄だった。世界で光り輝いていた自分が全く勝てない現実が待ち受けていた。勝てない自分を見る周囲の目も変化していき、そのなかでの3連覇へのチャレンジは、本当に過酷だった。しかし、「なぜ自分が現役に復帰したのか」「勝てなくなった現実のなかで、もう一度チャンピオンになるために何をしなければならないか」「勝てないのなら、何を変えればいいのか」と、自分自身を常に見つめて、時には俯瞰しながら、チャレンジし続けた。そうして勝ち取ったのが2004年アテネ五輪の金メダル。自分にとっては、とても重みのあるメダルだった。

◎自分の可能性を信じて、続けること
 自分の可能性は、どこで花開くかわからない。続けないと見えない世界というのは絶対にあるし、続けたからこそ見える世界、続けたからこそ勝ち取れるものがあると思う。私の場合は、花開いたのは比較的遅かったが、ずっとそういう気持ちで競技をやってきた。
 陸上競技は、柔道よりも身体能力が問われたり、なかなか日本人が勝てないといわれたりするが、
みんなの先輩方の努力で、以前よりも世界が見えるようになってきているのではないか。みんなの時代には、「入賞して当たり前」「メダルを取って当たり前」といわれるようになるよう、これから新しい歴史をつくっていってほしいし、それぞれが「自分自身がつくっていくんだ」という強い気持ちで、世界に向かっていってほしい。
 また、競技面だけでなく、人間としての将来も考えたうえでのこういうプログラムは、なかなか受けられるものではない。この機会を大事にして、しっかり取り組んでほしい。そして、自分の競技や人生を、変えてくれることになる「言葉」や「人」との出あいは、どこにあるかわからない。その出あいを大切にしてほしいと思う。

取材・構成:児玉育美/JAAFメディアチーム
写真提供:フォート・キシモト


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