2018.03.27(火)選手

【第2回/ダイヤモンドアスリート】江島雅紀選手インタビュー

2020年東京オリンピック、その後の国際競技会での活躍が期待できる次世代の競技者を強化育成する「ダイヤモンドアスリート」制度。単に、対象競技者の競技力向上だけを目指すのではなく、アスリートとして世界を舞台に活躍していくなかで豊かな人間性とコミュニケーション能力を身につけ、「国際人」として日本および国際社会の発展に寄与する人材に育つことを期して、2014-2015年シーズンに創設されました。すでに3期が終了し、これまでに9名が修了。昨年11月からは継続・新規含め全11名が認定され、第4期がスタートしています。

 ここでは、第4期となる「2017-2018認定アスリート」へのインタビューを掲載していきます。第2回は、棒高跳の江島雅紀選手(日本大学)です。


◎取材・構成/児玉育美(JAAFメディアチーム)
◎写真/フォート・キシモト

兄の跳ぶ姿を見て、小学生のころから憧れた棒高跳

――陸上競技は、お兄さんの影響で始めたそうですね。
江島:はい。2歳上の兄が棒高跳をやっていて、小学生のころから兄の試合を見に行っていたんです。中学に行ったら、僕も絶対にやってみたいと思っていました。

――棒高跳って、ピットの近くで見ていると迫力あるし、かっこいいですものね。
江島:そうなんです。もう、やりたくて、やりたくて(笑)。目立ちたいタイプなので、やるならど派手な競技を、と思っていたんです(笑)。

――実際にやってみて、どうでしたか?
江島:けっこう器用なほうだったので、最初からポールが曲がったのですが、でも、そのあと身体をどう動かせばいいかわからず、制御不能になってしまい、着地したとき履いていたスパイクのピンが片方の脚に刺さって、縫うようなケガをしたのが最初です。

――なんと! 怖くならなかったのですか?
江島:「これが棒高なんだ」って感じました。だから恐怖心はなかったのでしょうね、きっと。そこで怖いと思ったらやっていなかったと思うので。

――中学の陸上部に所属するとともに、クラブチームにも入っていましたね。
江島:はい。平井勇気さんが監督を務めるYPVC(Yokohama Pole Vault Club)に入っていました。秋から受け入れが始まるので、正式には中1の10月くらいから行くようになりました。

――部活動、クラブチーム、それぞれのいいところを経験できた?
江島:そうですね。どちらにも良さがあり、とても楽しかったです。クラブチームでは高校生も大学生もいて。最初は棒高跳の知識がなかったので、率先して聞きに行って、教えていただきました。

――そうして始まった中学生活でしたが、最終学年の3年時の全日本中学校選手権は、ケガのために予選落ち。直前の関東中学でランキングトップとなる4m50で制していることを考えると、悔しさが募る結果だったのでは?
江島:はい。予選の直前練習で肉離れしてしまったんです。テーピングをして臨んだのですが、予選通過記録が跳べず決勝には進めませんでした。優勝記録が4m45だったので、なおさら悔しかったですね。それが中学時代、一番悔しかったことです。

一気にトップ競技者へと駆け上った高校時代ターニングポイントとなったのは?

――2014年に荏田高校へ進学。YPVCで練習するという環境を変えずに高校生活をスタートさせました。
江島:そうです。でも、最初の試合は、人生初の記録なし。入学直後にあった横浜市の記録会だったのですが、冬場の練習もしっかりできていて、4月から自己ベストを出していこうと思って狙っていたのに、それが空回りしちゃった感じでした。

――ただ、そこには身体の急激な成長も影響していた。
江島:はい。身長が急に伸びて、身体つきもよくなり、ポールが全部流れていたんです。そのことは、僕も平井さんも予想外でした。でも、そのあとは、すぐに4m70、4m80が跳べました。なので目標にしていた3年連続インターハイ出場が実現できるかなと考えていたのですが、南関東大会で4m80の自己ベストをマークしたものの試技数差で7位(※6位までがインターハイ出場)。レベルが非常に高かったという意味では不運だったのですが、自分はまだまだ甘いなと思いましたね。

――その2週間後に、初の5m台となる5m05をクリア。さらに秋の関東高校新人では、5m20まで記録を伸ばしました。そのときは、どんな気持ちだった?
江島:5m15くらいは跳べても、まさか(5m)20まで行けるとは思っていなかったので、翌年の日本選手権の標準記録(当時)も突破する高1最高記録をつくれたことが不思議に思えましたね。

――そして、高校2年時には、さらに大きく記録を伸ばしていきました。
江島:はい、神奈川県大会で5m26の県高校新記録を出して、南関東大会で5m32の高2最高(=ユース日本最高)をクリアすることができました。実は記録ということでは、僕のなかで中学のころから笹瀬弘樹さん(当時の中学記録、高校記録保持者)の名前が常に頭にあったんです。中学記録は無理でしたが、高校学年別の最高記録も全部そうだったので。すべて超えたいと思っていました。

――6月の段階で、それをクリア。快調だったわけですね。
江島:でも、早い段階でこの高さを跳べたことで、変な欲が出てしまったんです。「もっとすごい結果を出せるのではないか」と勝手に思ってしまいました。それなのに、ランキングトップで臨んだ世界ユース(現U18世界選手権)は6位、インターハイも11位と、「今、やるべきこと」が全然できず不本意な結果に…。そのため、インターハイ後は1カ月くらい本当にやる気を失って、平井さんと衝突したりもしました。ただ、自分で行けると思っていた県の新人大会が4m80という記録に終わって、自分の考え方が間違っていたことに気づいたんですね。このままじゃダメだと反省して、平井さんに謝り、基礎からやり直しました。

――欲が出たことで、自分を見失ってしまっていたのですね。
江島:はい。自分が何を求めているのかわからなくなっていましたね。親にも「記録や結果はいいから、まずは楽しんでこい」と言われて…。そこで考えを改めることができたから、国体(5m00)で立て直すことができ、日本ユース(5m33)、関東高校新人(5m36)とベストを更新することができたのだと思います。

――以降の大会では、試合を楽しんでいるように感じていました。それを自分自身で気づいて、考えや行動を改めることができたのは、大きなターニングポイントとなったのでは?
江島:そこで変わったように思います。また、振り返ってみると、うまくいかなかったときは、大きな目標だけを見ていたことにも気づきました。なので、小さな目標をたくさん立てて、それを1つずつクリアしていくようにしました。

――気がついたら大きな目標をクリアしていた、みたいな感じに?
江島:はい。それがあったから、3年生のときにも高校記録を3回更新できたのだと思います。

チャレンジ精神を高めた単身でのフィンランド合宿

――今、仰ったように、高校3年時には、ゴールデングランプリで5m42の高校新記録を樹立、その後、インターハイでは脚に不安を抱えながらも5m43をクリア、そして、秋の国体では5m46まで更新しました。さらに、屋外シーズンを終えてからも、冬場に安藤財団の「グローバルチャレンジプロジェクト」の支援を受けて、単身で2度フィンランド合宿へ。2回目の渡航となった1月には室内大会に出場して、日本記録保持者(5m83)でもある澤野大地選手(富士通)が学生(日本大)のときに樹立したU20日本記録(屋外)に並ぶ5m50のU20日本タイ記録を樹立しました。
江島:U20世界選手権でお会いしたことが縁で、スティーブ・リッポンさん(フィンランド陸連ナショナルコーチ)の指導を受けたんです。2回目に行ったときには室内大会にも出場しました。いつもより短い助走でしたし、まさか自己ベスト出せるなんて、自分でも驚きましたね。この渡航では、自分一人で行ったことによって、本当にたくさんの経験が得られました。一番育ったなと思うのが自発性です。「一人だけの日本人」という環境だったので、自分からアクションを起こさないと物事がどんどん勝手に英語で進んでいっちゃうんです。なんとかするためには自ら行動するしかなく、その結果、なんでも自分でチャレンジしていくようになりました。その精神力は、今に生きていると思います。

――そのあたりは、ダイヤモンドアスリートとして受けてきた研修も役に立っているのかもしれませんね。江島くんご自身は、高校2年の秋、第2期(2015-2016)からの認定となったわけですが、ダイヤモンドアスリートになって、どんな点に効果があったと思いますか?
江島:僕が一番よかったなと感じたのは語学研修です。Gabaさんで指導を受けたことで、世界ユース(2015年)のときには片言でしか話せなかった友達と、1年ぶりにU20世界選手権で再会した際、たくさん話すことができましたし、また、そのことで英語力の必要性を改めて実感しました。また、栄養のサポートを受けていることは、身長に対して体重がなかった自分の身体をしっかりつくっていく上で、とても役立っています。ほかに挙げるとしたら、多くの海外合宿に行かせてもらえるようになったことでしょうか。フィンランド行きもそうでしたが、大会に出るために海外に行くのと、そこに滞在して練習したり試合したりして過ごす海外というのは全く違うので、それを経験できたことは、すごく貴重な経験になっていると思います。

順調な記録更新を実現したが
心の成長に課題残した2017年




――日本大学へ進んで1年目となった2017年シーズンからは、トレーニング拠点も大学に移して、日大の教員としてコーチを務めながら競技者としても第一線で活躍する澤野大地選手の指導を仰ぐことになりました。記録面では、5月初旬に5m61のU20アジア新を跳んで、1月に自身がマークしたU20日本記録も更新。7月のアジア選手権では、その記録を5m65まで引き上げて銀メダルを獲得しました。“ルーキーイヤー”としては上々のように思うのですが、ご自身はどう評価しているのですか?
江島:とはいえ、学生として臨んだ最初の大きな試合の織田記念で、高校のときと同じように「まさかの記録なし」をやってしまうという波乱含みの滑り出しだったんですけどね(笑)。全体的に見ると、自分のなかでは100点満点で点数をつけたら、70点くらいは行っているかなと思います。残りの30点はなにかといったら、途中から世界選手権参加標準記録突破を狙おうと思って、(5m)70を目標に掲げて、それに達しなかったことが1つ。そして記録は出ているけれど、「もう一歩」のところでの勝負に勝てていないこと。関東インカレ(2位)も、日本選手権(2位)も、アジア選手権(2位)も、日本インカレ(2位)も。メダル争いという点ではユニバーシアード(4位)もそうです。試技内容で負けてしまったものも多くて、課題を残しましたね。あと、これは、環境の変化に伴ってのことなのかもしれませんが、周りから評価していただくほど素直に喜べなかったり、ちょっとしたことに不安になったり苛立ったりすることもあって、そんな自分に対しての葛藤があったなというのが正直なところです。

――記録の成長に、心の成長が追いついていなかったのでしょうか。周りが思うほど大人でなはないというか。
江島:年齢的に難しい時期なのかもしれないと感じています。ただ、来年は二十歳になるわけですし、そこは自分で切り替えて、コントロールしていけるようにならなきゃ、と思っています。

2018年シーズンは、すごく難しい、そして非常に大切な年となる

――2018年シーズンについて伺っていきましょう。試合の予定は?
江島:本格的な試合は、4月のマウントサックリレー(アメリカ)を考えています。

――マウント・サン・アントニオ大学で行われる大会ですね。澤野選手が海外の「ホーム」としている場所です。
江島:はい。この冬はマウントサックで合宿を行いました。今後は、僕もここを海外拠点にしようと、澤野さんとも話しているんです。そうすれば、ブライアン・ヨコヤマコーチに指導していただくこともできますから。また、今年から国際陸連がポイント制になるじゃないですか。だから、ポイント付与率の高い海外の大会には、出られるものならどんどん出ておきたいという思いもあります。でも、詳細がまだよくわからなくて…。どうしていくべきなのか、すごく難しいと考えています。

――そうですね。今年でしっかりと把握して戦略を立ておかないと、来年以降は迷っている時間がないですから。
江島:はい。そうしないと、来年のドーハ世界陸上も、それどころか東京オリンピックだって見えなくなってしまうので。そういう意味では、非常に大切な1年になってくると思います。

――具体的な目標としては、何を掲げているのですか?
江島:日本記録(5m83)更新です。マウントサックでブライアン・ヨコヤマコーチから指導を受けたとき、ここがこうなれば、(5m)70、80、その先が見えてくると言っていただけたところがあって、自分のなかでも変われてきているなと感じているので。なんとか今年のうちに日本記録を、そして来年にそれ以上を、そして2020年東京オリンピックでは金メダルを獲得できるように、と思っています。あとは、記録もそうですが、今年はタイトルを取っていきたいですね。

――昨年は勝てなかった試合が多かったですからね。
江島:はい。なので、それも1つの目標に掲げて、「勝ちにいくシーズン」にしたいと思います。

――とても忙しい1年となりそうですね。記録を狙い、ポイント制のことを考えて海外の試合にも出ていき、勝負にもこだわり、精神面の成長と安定も図りたい…(笑)。
江島:確かにそうですね(笑)。まずは、(5m)70以上をなるべく早いうちに跳んでおくこと、でしょうか。この持ち記録があれば、ダイヤモンドリーグに招待される可能性も出てくるので。

――去年、将来像を伺った際、「自分は、東京オリンピックからが本当の意味でのスタートになると思っているけれど、そのための最初の目標となるのが、オリンピックで日本人初めての6mを跳んで、日本だけでなく世界から注目してもらえる選手になること」と話していました。それは揺るぎない?
江島:はい、変わっていません! そこは揺るぎないです。

――了解しました。2018年の快進撃を楽しみにしています。


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