2018.03.28(水)選手

【第4回/ダイヤモンドアスリート】宮本大輔選手インタビュー

2020年東京オリンピック、その後の国際競技会での活躍が期待できる次世代の競技者を強化育成する「ダイヤモンドアスリート」制度。単に、対象競技者の競技力向上だけを目指すのではなく、アスリートとして世界を舞台に活躍していくなかで豊かな人間性とコミュニケーション能力を身につけ、「国際人」として日本および国際社会の発展に寄与する人材に育つことを期して、2014-2015年シーズンに創設されました。すでに3期が終了し、これまでに9名が修了。昨年11月からは継続・新規含め全11名が認定され、第4期がスタートしています。

 ここでは、第4期となる「2017-2018認定アスリート」へのインタビューを掲載していきます。第4回は、100m・200mの宮本大輔選手(洛南高校→東洋大学)です。

◎取材・構成/児玉育美(JAAFメディアチーム)
◎写真/フォート・キシモト


悔しかった全国小学生での敗戦
「中学でも陸上を」


――陸上は、いつから始めたのですか? そのきっかけは?
宮本:通っていた小学校の先生に、「陸上をやってみたら?」と言われたのがきっかけで、小学4年生の秋から始めました。かけっこは1番だったし、上級生に勝ったりもしていましたが、自分が速いという感覚はそんなになかったんです。言われてみてそうなのかなと思い、「じゃあ、やってみるか」みたいな。そこまでは野球を頑張りたいと思っていたので、「とりあえず、やるだけやってみるか」という感覚で始めました。

――それまでは、野球を?
宮本:野球とか水泳とか、いろいろやっていましたが、野球はスポーツ少年団に入っていて、主にショートとセンター、たまにピッチャーをやっていました。

――そこから陸上のクラブチームへ入ったのですね?
宮本:はい。「徳山RCコネット」という地元のスポーツ少年団の陸上クラブです。

――宮本くんは山口県の出身でしたね。ご家族は陸上をやっていらした?
宮本:母が中学くらいのときに短距離をやっていて、市では1番だったみたいです。

――お父さまは?
宮本:野球です。

――それで宮本くんも野球をやっていたのですね。陸上に取り組むようになっていかがでした? 試合は?
宮本:試合には小5から出始めました。小5で全国(全国小学生交流大会)に行って3番(5年100m)に入って、6年で7番(6年100m)です。

――6年生のときは順位が下がってしまったのですね。
宮本:僕はそのころから小柄というか、細い子だったのですが、ほかの人たちの成長スピードがすごくて。6年生のときは、「みんな、でかいなー」と感じていました。

――体格に個別差が出る時期ですものね。
宮本:はい。県とか地区では無敵だったけれど、小学5年のとき全国へ行って初めて負けたわけです。負けず嫌いだったので、むちゃくちゃ悔しくて、「これは日本一になるまではやめられないな、中学からは陸上にしよう」と思いました。

自己記録12秒00からのスタート
中学生初の10秒5台をマーク 


――そして、周陽中では陸上部に入部。1年のときにジュニアオリンピックCクラス100mで6位に入賞していますが、最初に日本一になったのは、2年時のジュニアオリンピック(Bクラス100m)でした。1番になったときの心境は?
宮本:その年の全中(全日本中学校選手権)が5番だったので、勝ってホッとしたというのがありました。全中のほうはランキング2位で出たのに順位を落として悔しさもあった半面、中2でそこまで行けたという思いもあったのですが、逆にJO(ジュニアオリンピック)では1番にならないといけないという気持ちになっていたんです。

――3年生になる直前の3月には、中2最高記録となる10秒75(+1.8)をマーク。中学最後の年は、中学記録更新も意識してのシーズンだったのではないかと思います。
宮本:そうですね。そもそも、僕が1年生の段階で、顧問の藤田昌彦先生が中学3年間をどういう感じで行くかという話をしてくれて、「毎年0.5秒ずつ上げていければ、全国でも1番になれるし、中学記録も狙える」と言われていたんです。入学したときのベストがちょうど12秒00だったので、「0.5秒」というのは自分のなかでも行けなくはないなと…。なので、急に意識したわけでなく、毎年そのくらいずつ記録を伸ばせば狙えるんだと思って、3年間やってきていました。

――中学新記録樹立は、シーズンに入ってすぐの達成となりました。5月に10秒56(+1.5)をマーク。従来の記録(10秒64、2010年、日吉克実)を一気に0.08秒更新しました。このときは、どんな感じだったのですか?
宮本:試合は、県の中学春季体育大会です。予選から動きはよくて、そこで自己新(10秒73、+1.9)を出していたので、もしかしたら行くかなと思いつつ、でも大きな大会ではなかったので、記録を狙ったわけではありませんでした。普段通りに走ったら、アナウンスで「10秒56です」と言われて…。(10秒)5台に突入するとは思っていなかったので、すごく嬉しかったです。

――初めて経験した10秒5台。走っていて何か違う感じは?
宮本:感覚自体は、特に変わった点はなくて、「いつも通りかな、でもちょっと動きはいいかな」くらいだったので、思っていた以上の記録が出たなという感じでした。

――以降、一気に注目されるようになりましたが、全日中はきっちりと100m・200mで2冠を獲得しています。プレッシャーはなかったのですか?
宮本:僕自身は、逆に10秒56という記録が出せていたことで、気楽になった感じがありましたね。「スタートが決まらなくても、(10秒)56を出せる加速力があれば十分に行ける」というふうに。逆に、動じないで挑むことができました。

――じゃあ、新記録を出したことは、すごくいい形で作用していたわけですね。200mはどうだったのですか?
宮本:200mは苦手で、できれば走りたくないような感じだったのですが(笑)…。

――距離が長いから?
宮本:はい(笑)。でも、100mで記録を出しているぶん、200mも勝たないといけないような雰囲気もあって…。なんとか逃げ切れてよかったなという感じです。

――秋の長崎国体では、少年B100mで1学年上のサニブラウン アブデルハキーム選手(当時、城西大城西高)との対決に。高1最高(10秒45)をマークしたサニブラウン選手が優勝し、宮本くんは10秒73で2位という結果でした。悔しい結果だったのでしょうか?
宮本:勝つ気でいました。中2の全中でも負けていたので、リベンジするつもりだったんです。全中のときは後半で抜かれたので、先に逃げてしまおうという考えだったのですが、思っていた以上に早い段階で追いつかれたことで動揺して、そこから走りが崩れて、一気に離されてしまいました。思ったような走りができなかったことが悔しかったですね。

高校では2年連続で“高校3冠”を達成
一番嬉しかったことは…?


――高校は、京都の洛南高校に進むことを選択。どういう思いで決めたのですか?
宮本:地元に残るかどうか悩んだのですが、新しい環境で、全国レベルの方々がいるなかでやったほうが、自分はもっと強くなるんじゃないかと思って、最終的には山口を離れることにしました。

――高校では寮生活? いきなり環境が変わったわけですが、慣れるまで大変だったのでは?
宮本:朝起きられるのかとか、いろいろ心配はしていたのですが、いざ行ってみたら、「案外行けるな」と(笑)。家が恋しいとか、そういうふうにもならなかったです。まあ、決めたからには最後までやらなきゃなと思っていましたし、環境の変化は気にならなかったです。

――1年の段階から、記録も伸びていますし、インターハイでも6位に入賞。世界ユース選手権(現U18世界選手権)でも決勝進出(7位)を果たしました。振り返ってみていかがでしょう?
宮本:シーズン最初はあまりよくなかったのですが、インターハイの京都地区予選で自己新を出して、その記録で世界ユースに選んでもらえました。そこで調子が戻ってきて、普段の自分が出せるようになったかなと思います。

――世界ユースが初めての国際大会ですよね? 開催地はコロンビア。いきなり地球の反対側へ行くことになりました。
宮本:はい。移動だけで1日以上かかりました。海外に行くこと自体が初めてだったし、あまり治安がよくないとも聞いていたので不安に思っていたのですが、着いてみたら、友好的で優しい方々ばかり。環境の変化は気にならず、試合もいつも通りに臨めました。

――レースも緊張せずに走れた?
宮本:準決勝までは、そうやっていい感じで行けたのですが、決勝はダメでしたね。進めただけで満足しちゃったのと、そこまでに力を使い果たしていて、戦える状態ではありませんでした。会場の雰囲気も予選・準決とはがらりと変わったなか、自分の走りができず、ただ(上位争いする選手たちの)後ろを走っているという感じのレースになってしまいました。

――そのレースで、サニブラウン選手が優勝したわけですが、どう感じました?
宮本:同じ日本代表の人が、レース後、国旗をまとってスタジアムを歩いて回っているのを見て、めちゃくちゃ悔しい気持ちになりました。世界中の関係者とかメディアの人たちが注目している様子を、外から見ているだけの状況だったので。まだまだ力不足だなと痛感しましたね。

――シーズン全体を振り返ってどうでした?
宮本:インターハイもなんとか入賞して、秋も国体(少年B)・日本ユースとも勝てて、自己記録も最終的に10秒49まで上げることができたので、悪くはなかったと思っています。

――高校2年では、100m(10秒31)・200m(21秒03)ともに大幅に記録を伸ばしました。100mではインターハイ、国体、日本ユースを制して“高校3冠”も達成。ご自身としては満足していた?
宮本:終わってみればよかったけれど、シーズン前半でスタートが全然決まらないなどの苦労もありました。中身が伴っていない部分があったので、全体的によかったとはいえない1年でした。

――高校最後の年は、足首に不安を抱えてのシーズンインとなりました。
宮本:はい。春の合宿のころ右足首近辺に痛みが出ました。すぐに治るだろうと思っていたのに痛みが引かず、そのままシーズンイン。病院に行ったら、踵骨が炎症を起こしていたほか、踵の筋(すじ)も炎症を起こしていました。ただ、痛くて思うようにはいかないなかでも6月の近畿大会では(自己ベストの)10秒23を出していたので、「案外、ケガしていても行けるもんだな」と思いましたが(笑)。インターハイも痛みはありましたが、自分が頑張らないといけないので…。

――個人の連覇はもちろん、チームの総合3連覇もかかっていましたからね。痛みは、いつまで?
宮本:最終的に痛みが完全になくなったのは10月末です。なので、シーズンすべて違和感ありの状態でした。

――高校3年間を振り返って、一番嬉しかったことは?
宮本:やっぱり4継(4×100mR)の高校新記録が大きいかなと思います。

――日本選手権リレーの予選でマークした39秒57ですね。宮本くんは2走を務めました。
宮本:はい。高2のときに39秒93(U18日本記録)を出して以来、ずっと目標にしていたので。さらに、日本選手権リレーがそれを実現させる最後のチャンスだったので、すごい達成感がありましたね。桐生祥秀さん(洛南高→東洋大→日本生命)の代の記録(前高校記録39秒67、2012年)を塗り替えたことも嬉しかったです。


「いつか追いつき、追い越したい」
シニアのトップ勢は、憧れでなくターゲット



――宮本くんは、ご自身の強みはどこだと思っていますか?
宮本:走りということでは、スタートしてからの加速力でしょうか。同世代のなかでは、顔を上げてから一気に飛び出していけるので、それは強みかなと思います。

――逆に、改善していきたいところは?
宮本:昨年の秋に国体とか日本ジュニア(U20日本選手権)とかで出した10秒2台のときは、前半にその飛び出しでスピードに乗れる半面、後半、そのスピードを身体がコントロールできなくなっていました。そこで走りがぶれて、ふわふわするというか、泳ぐような走りになってしまうところですね。走っていても、「気持ち悪いなあ」と感じていました。

――走りながら、気持ち悪いと?
宮本:はい。毎回、「あ、また来た」と思っていました。10秒3台くらいのレースでは出ないのですが、(10秒)2台になると出てくるんです。10秒2台が出せるエンジンに対して、ボディの部分がまだ仕上がっていないのだろうなと思っています。

――じゃあ、好記録が出ても、「いい走りができた」という感じでなく…。
宮本:苦し紛れに出た記録というか、もっとよくなるはずなのに…という感じですね。

――考えようによっては、伸びしろいっぱいということですね。
宮本:(笑)。はい。

――春からは東洋大で競技を続けます。2018年シーズンの目標は?
宮本:まずは自己ベストを常に更新したいと思っています。10秒1台を出せるように頑張っていきたいです。また、学生の大会や全国の大会で、1年目からしっかり結果を残せるようにしたいですね。それからU20世界選手権がありますから、代表になって、世界ユースのリベンジができれば…と思います。

――今度は、決勝でしっかり戦いたい?
宮本:そうですね。世界ユースで悔しい思いをしたので、そこで感じたことを生かしたいです。

――自分の将来像は、どう描いていますか?
宮本:レベルの高い、今のシニアのトップの人たちと、勝負ができる選手になりたいですね。

――そういう自分は、具体的にイメージできている?
宮本:去年、日本選手権(予選4着、10秒39)を走ってみて、まだそのレベルに達していないと感じました。まずは少しでも追いつくことから始めていきたいです。ただ憧れていたのではダメで、ターゲットにして、「いつか追いつき、追い越してやる」という気持ちで挑まないと勝負の世界では通用しません。しっかりとそこを目指していきたいですね。

――今後は、リレーメンバーとして一緒に戦っていくチャンスもあると思います。
宮本:僕、バトンを持ったら速く走れるので…(笑)。ただ、今のレベルだと、10秒0台でも5番手、6番手。まずはその4人に選んでもらえるような結果を残していきたいですね。

――1年目からの快進撃を楽しみにしています。

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