2019.01.09(水)選手

【ダイヤモンドアスリート】第5期新規認定アスリートインタビュー最終回 小林歩未選手



ダイヤモンドアスリート」制度は、2020年東京オリンピックと、その後の国際競技会における活躍が期待できる次世代の競技者を強化育成することを目指すとともに、その活躍の過程で豊かな人間性とコミュニケーション能力を身につけ、「国際人」として日本、さらには国際社会の発展に寄与する人材に育つことを期して、2014-2015年シーズンに創設されました。昨年11月からは、継続競技者8名のほか、新たに3名の競技者を加えた全11名が認定され、第5期がスタートしています。

ここでは、新たに加わった第5期(2018-2019)認定アスリートのインタビューをお届けしています。最終回は、女子100mHの小林歩未選手(市立船橋高校3年・千葉)です。

 

◎取材・構成・写真:児玉育美/JAAFメディアチーム


「陸上は、いったん高校で終わりにしよう」と思っていた

―――小林さんは、インターハイで高校新記録を樹立したにもかかわらず、そのレース直後の段階では、「陸上を続けていくかどうかわからない」というコメントを残していました。それを知って「なんて、もったいない!」と驚き、その後、国体で「続けることにした」と伺って、心から「ああ、よかった」とホッとしました。きっと多くの方がそう感じていたと思うのですが(笑)、続けることを決めるまでに、どんな気持ちの変化があったのでしょう?
小林:インターハイの前は、記録もあまり伸びなくて、いったん高校で終わりにしようと思っていたんです。でも、インターハイで高校新記録が出たことで、「もっと頑張れば、日本のトップで戦えるのかな」と感じて、しだいに「続けてみようかな」と思うようになりました。

―――記録が伸びないといっても、6月の日本選手権で、すでに13秒4台(13秒47、+1.5)の好記録をマークしています。その段階でも続けることは考えていなかったのですか?
小林:周りが大学生とか社会人の方だったから、自分もいい記録が出たのかなという気持ちがありました。ただ、日本選手権に出たおかげで、インターハイで記録が出せたのかもしれないと思っています。

―――スピードレベルが高いなかでのレースを経験したことで、ご自身のレベルが一気に引き上げられた?
小林:そうですね。

―――やはり違っていましたか、日本選手権は?
小林:違いましたね。いつもだと周りにいるのは同級生や後輩なのに、全員年上の方だったので…。もう高校生とはオーラが違っているという感じで、インターハイよりも日本選手権のほうが緊張しましたね。

―――では、インターハイのほうは、“勝手知ったる…”みたいな感じで臨めたのでしょうか?
小林:いいえ。ライバルがいたので、全然気が抜けないなと思っていました。だから、1本1本集中して走ろうと考えて臨みました。


 

クラシックバレエとの両立から陸上に絞った中学時代

―――昨シーズンの話を伺う前に、少し遡って中学のころの話を聞かせてください。小林さんは、中学時代はクラシックバレエもやっていらしたそうですね。
小林:そうです。中学のときは陸上と両方をやっていました。

―――バレエはいつから始めたのですか?
小林:小学校3年生から始めて、中2の春までです。

―――それで中学2年のときから陸上に絞った?
小林:はい。本格的にやろうと思って、バレエをやめて陸上一本にしました。

―――何かきっかけがあったのですか?
小林:もともと走ることが好きだったんです。中2の冬を乗り越えれば、中3はラストシーズンになってしまうので、そこに向けて頑張ろうと思いました。バレエは趣味程度でやっていたということもあって、そこでいったん区切りをつけて、陸上だけにしたという感じです。

―――陸上競技は習志野六中で始めたんですよね?
小林:はい。走るのが大好きで、小学生のときは昼休みも鬼ごっことかして、ずっと走り回っていました。小学校のときはクラブとかがなかったので、「中学校に行ったら陸上部に入ろう」というノリで入りました。

―――では、小学校のころは、運動会とか体育の授業とかも得意だった?
小林:大好きでした。いつも1番を取りたくて…、という感じで走っていましたね。

―――千葉県は中学もレベルが高いですよね。陸上部に入って、実際に試合に出るようになってみてどうでしたか?
小林:全然勝てませんでしたね(笑)。タータン(全天候型走路)で走ったことがなくて、練習はずっと土(の走路)でしたから、どうしても練習と本番の違いというか、そういうのに慣れなかったというのがありました。

―――最初からハードルに取り組んだのですか?
小林:いいえ、ハードルは中2の春くらいからです。

―――陸上に絞ったのを機にハードルを始めた?
小林:その前からちょっとずつやっていて、で、(陸上に)切り替えたときには、もうハードル1本という感じでした。

―――ハードルを始めた背景には、中学の陸上部にいた先輩の比嘉和希選手(現山梨学大)の影響があったとか?
小林:はい。比嘉先輩がすごく速くて、全中(全日本中学校選手権)にも出たりしていたので、憧れがありました。最初は100mをやっていたけれど記録も伸びなかったので、気分転換にハードルをやってみようかな、と。

―――その100mHで、3年時には全中に出場しました。予選突破はかないませんでしたが、初めての全国大会はどうでしたか?
小林:なんかもう、「出られるだけでありがたい」(笑)という感じでしたね。「楽しんで走れればいいかな」と、全然記録とかにもこだわらずに走りました。

―――悔しさというよりは、いい記念になったという感じだった?
小林:そうですね。ただ、どこかでなんか“勝てるんじゃないか”という気持ちもあって…。「ああ、全国にはこんなにすごい子たちがいっぱいいるんだ」と思いました。

 

「ハードルがあるとギアが入る」

―――市立船橋高校に進むことになったのは、何かきっかけがあったのですか?
小林:さっき言った比嘉先輩が、市船(いちふな)に行ったので、陸上を続けるのなら私も、と思いました。

―――高校1年のときは、インターハイ千葉県大会で7位。あと一歩のところで南関東大会行きを逃しました。
小林:悔しかったですね。しかも、6位の子が同級生で、中学でも一緒に走っていたので余計に悔しくて…。冬期練習を全然やっていなかったので、その差なのかなと思いました。

―――中学3年から高校1年の冬は、練習はしていなかったのですか?
小林:練習にはちょくちょく参加はしていました。だけど、勉強しろと言われていたこともあって、(学習)塾のほうを優先させていました。

―――高校での練習には、だんだん慣れていったという感じだったのでしょうか? 最初はきつかったのでは?
小林:すごくきつかったです。練習についていくのも大変だし、量をこなすとか1本1本を全力で走るとかいうようなことを、それまでやっていなかったので、全部が予想外というか。もう全部が大変でしたね。

―――馴染んできたなと思ったのはどのあたりから?
小林:1年経ってからですね。高1の1年間が土台になったというか、そこで高校3年間の基礎ができたように思います。

―――そして、2年生のときに13秒台をマーク。南関東大会で、まず準決勝で追い風参考(+2.5)ながら13秒93、決勝では公認(+0.1)でそれを上回る13秒90を出しました。
小林:それが最初ですね。

―――いかがでしたか? 初めて13秒台が出たときは?
小林:13秒台というのは日本の上の人たちが出すタイムだから、自分が出せるわけはないだろうなと思っていたんです。その前の県大会で出した14秒前半の記録(14秒11、+0.7)で満足していたくらいだったので、まさか出るとは思っていませんでした。

―――そのあと臨んだ高校2年生のインターハイが、全国大会での初の決勝進出になるのですね? そのときはどうだったのでしょう。
小林:もう、“ど緊張”でした(笑)。ハードルの準決勝の前にマイル(4×400mR)の準決勝があって、マイルはそこで落ちてしまっていて、ハードルの準決勝には泣きながら行ったんです。決勝に残れるとは思っていませんでしたし、とりあえず走ろうという感じでいたのが通過してしまったので。

―――ハードルはどういう目標だったのですか?
小林:入賞できればいいかなと思っていました。

―――では、決勝に進めたところで、ある程度満足もあった?
小林:そうですね。一応、目標は達成できていたかなと思います。

―――そのあと、U18日本選手権で2位になりました。このハードルはU18規格(ハードルの高さ76.2cm、ハードル間のインターバル8.5m)でのレースですね。
小林:はい、1つ低い高さです。

―――インターバルの距離は一緒とはいえ、一般規格でのレースに慣れていると、逆に走りづらいのでしょうか?
小林:どちらかというと技術よりも走力。速く走れる人のほうが勝つというような感じですね。

―――これが全国大会では初めての表彰台でした。
小林:はい。初めてメダルが取ることができて、素直に嬉しかったです。全国の舞台でメダルを取ることは目標だったので、(ハードルの)高さは違うけれど、1つ目標は達成できたなというのがありましたね。

―――速く走れるようになって、ハードルの面白さはどこにあると感じますか?
小林:100mと違って技術が必要なので、ただ走っているだけじゃダメで、ある程度の技術がないといけないので、そこはほかの競技と違って、やっている側も、見ている方の側も、両方楽しいのかなと思います。

―――100mも11秒台(11秒83、2018年)で走っているわけですが、100mの走りと100mHの走りとでは、少し違いますよね。そこはどう意識しているのですか?
小林:ハードルは、スタートから13m先にハードルがあって、そこから10台あるわけですが、100mだと何もない状況なので、なんか物足りないというか…(笑)。

―――目標物がない(笑)。
小林:だから、100mはどう走ったらいいかわかりません(笑)。加速のつくり方が全然違いますね。

―――100mHはどういうイメージで走っているのですか?
小林:私は、3台目から5台目のところと、後半が伸びます。ハードルがあるとギアが入るというか、「ここらへんから上げていけばいい」というのが台数でわかるというか、そういう感じですね。

―――100mHでそういう感じ方ができるようになってきたのは、いつくらいからですか? 13秒台で走るようになってから?
小林:それより前です。高校に入ってから意識するようになって、気がついたら「そこらへんが自分の加速のポイントなのかな」って思うようになっていました。


 

向かい風のなか13秒34、追い風参考ながら13秒13。

圧巻の強さを見せた2018年シーズン

―――さて、昨シーズンについて、話を戻しましょう。高校2年生から3年生に向けての冬は、どういうところに目標を置いていたのですか?
小林:キャプテンになって、そこからチームを引っ張らなくてはいけなくなったのですが、個人もリレーも兼ねているので、とりあえずハードルを置いておいて、チームを引っ張っていこうという感じで、冬はあまり技術系はやっていなかったです、走りがメインで。

―――その成果は、春先から100mの記録という形で表れましたね。千葉県大会で11秒83の自己新をマーク。思っていた以上の記録だったのは?
小林:すごくよかったです。12秒前半で満足していて、11秒台が出るなんて思っていなかったので…。

―――それも準決勝(11秒94)、決勝と、続けて出ましたからね。シーズンに入ったときには、スピードがついたという感触はあったのですか?
小林:はい。前の年より、100mのスピードが上がっているなというのは感じていました。

―――それはハードルには、どう影響しましたか?
小林:スタートから1台目が課題だったのですが、スタートが短距離の子と変わらなくなってきたので、前半がうまくいくようになって、持ち味の後半につなげられるようになりました。そこで1つの流れができたように思います。

―――そしてインターハイ。向かい風(-0.3m)のなかで13秒34というのは、本当に素晴らしい記録です。ご自分ではどう思いました?
小林:びっくりしましたね。

―――まあ、13秒4台は出ていたけれど…。
小林:はい。だから、「出なくはない」みたいな感じで言われてはいたのですが、向かい風が苦手だったので、「この風では無理だろうな」とあきらめる思いもありました。

―――そんななかで高校新記録での優勝。満足のできる結果だった?
小林:“もうちょっと上に行けるかな”と、そのときは思いました。

―――13秒2台という記録が見えたのでしょうか?
小林:そうですね。今季のうちには出せるんじゃないかなと思ったのですが、風に恵まれなかったですね。

―――秋シーズンは本当にそうでしたね。“追いすぎだよ”(注:国体の決勝は+2.5mだった)と思えば…。
小林:“ど向かい”(注:U20日本選手権は、予選・準決勝・決勝と、-1.3m・-1.8m・-1.6mというコンディションだった)か。ちょうどいい風がなかったです(笑)。

―――2.5mの追い風参考記録とはいえ、13秒13を出した国体の決勝は、見ていて痺れました。走っていて、どういう感じでしたか?
小林:スタートを失敗したので、「もしかしたら優勝できないかも」って思っていたんです。

―――その状態で、それだけ(風が)追っているなかでちゃんとコントロールして、追い上げていかなければならなかったわけですよね。うまく走れたのですか?
小林:もう、後半で巻き返すしかないと思って、がむしゃらに走ったという感じです。でも風に押されて、自然と後半に(スピードが)上がってくれたのでよかったです。

―――そういう意味でも、秋シーズン、もうちょっと条件に恵まれていたら…という思いもあったのでしょうか?
小林:そうですね。もうちょっといいタイムが出たかなというのはありますね。

―――それは、来季のお楽しみという感じですね。
小林:頑張ります!(笑)


夢に向かって頑張りたい。陸上も、勉強も。

―――ダイヤモンドアスリートについては、ご存じでしたか?
小林:存在は知っていました。

―――認定されたと聞いたときは、どうでしたか?
小林:叫びました。「ええーっ!」って(笑)。

―――どういうシチュエーションだったのでしょう?
小林:先生から、学校の廊下ですれ違いざまに「選ばれたよ」って言われて…。エイプリルフールかと思いました。

―――11月のエイプリルフール…(笑)。
小林:本当にびっくりしたので(笑)。

―――実際に、合宿や研修に参加してみていかがでしたか? まだ、これからいろいろやっていくことになると思いますが。
小林:SNSとかニュースとかでしか見てこなかった人たちと、実際に一緒にやるということで、めっちゃ緊張していて…。

―――女子はちょっと少ないですし、まず研修以前に…。
小林:はい。コミュニケーションをとるほうことのほうが緊張しました。

―――春からは大学生です。大学では何をやりたいですか?
小林:勉強も頑張って、なおかつ、陸上ではトップのほうに、少しでも駒を進められたらいいなと思います。

―――確か、英語を勉強したいと仰っていましたよね。
小林:そうなんです。ずっと英語をやりたくて、最初は留学しようかと思っていたのですが、でも、英語の基礎がまだ全然できていないので、大学で勉強しながら、陸上を通じて海外へ合宿とか大会とかに行けたらな、と。

―――ダイヤモンドアスリートの研修のなかには、英会話のプログラムもあります。楽しみですね。
小林:はい。積極的に受けて、会話できるようにして、少しでも早く1人で遠征に行けるようになりたいです。それで海外の技術なども取り込んでいけるようになれたらいいなと思います。

―――将来就きたい仕事というのは、具体的に何かあるのですか?
小林:通訳になることが夢です。それに向けて頑張りたいです。

―――その夢をかなえるために、最初は、陸上を高校までにしようと…?
小林:そうなんです。最初は、そっちの道へ進もうかなと考えていたので。

―――通訳をやりたいと思うきっかけはあったのですか?
小林:母が英語を話せるので、話せることに憧れがありました。今は、スポーツの知識も持った上で英語を使える職業に就いて、世界との架け橋になれたらいいなと思っています。

―――では、ダイヤモンドアスリートになって、さまざまな人と会ったりいろいろな経験を積めたりする機会があることは、その将来の夢にもプラスになりそうですね。
小林:そうですね。うまくつなげられたらいいなと思います。

―――陸上競技のほうでは、来シーズンは、どこに目標を置きますか?
小林:日本選手権で優勝することです。

―――優勝となると、かなり高いレベルの記録が必要になってきます。目標とする記録はあるのですか?
小林:まずは13秒2台を出してから、徐々に上げていければいいかな、と。

―――12秒台を目指す?
小林:出したいですね、大学生のうちに。

―――U20の日本記録は13秒05です。そこを更新していこうとするなら…。
小林:はい、(12秒台に)かなり近いタイムを出さなければなりません。

―――そのためには、何が課題になりますか?
小林:まずは体力的な面ですね。あとはまだ技術がうまいわけじゃないので、どれだけ速くハードルを越えられるかという部分。それから、スタートから1台目がずっと課題なので、そこをもっとトップ選手の方と張り合えるような速さになりたいです。

―――将来の夢、そしてハードラーとしての夢の両方が、かなう日を楽しみにしています。今日はありがとうございました。


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